日の丸スパコン、捲土重来

 スーパーコンピューターの性能で、日本が世界第1位に上り詰めた。その名は「地球シュミレータ」。2位の米国勢より5倍も早い。地球温暖化などの解明が大きく進む。日の丸スパコンに世界が注目。

 窓はない。入り口は隣のビルの3階から延びる渡り通路だけ。かまぼこ型の体育館のような建物に一歩足を踏み入れると、「ゴー」という空調の音で会話もままならない。奥行き65m、幅50m。テニスコートなら4面が収まるほどの空間に、キャビネットが整然と並んでおり、まさに「巨大迷路」のようだ。このうち青いキャビネット(320台)の中には、1つひとつがスーパーコンピューター(スパコン)と呼べるプロセッサー(演算処理装置)が16個収められている(全体で5120個)。それらは高速のネットワークで接続されており、この建物全体で超高速のスパコンとして働く。これが世界最速スパコン「地球シュミレータ」である。
計算機の中に「地球」を再現
 地球上で起こる気象現象や地核の構造などを超高速コンピューターで解析することによって、自然科学の未知なるメカニズムの解明に迫ろうという狙いから名づけられた。いわばコンピューターの中に「仮想の地球」を作り出すという壮大な構想である。開発計画が立ち上がったのは1997年。旧科学技術庁(現文部科学省)が、地球環境の変動予測の研究を推進する「地球シュミレータ計画」をまとめ、科学技術計算のニーズが大きい宇宙開発事業団、日本原子力研究所、海洋科学技術センターの3者が中心となりプロジェクトチームを発足させた。スパコンメーカーとしてはNECが参画し、共同で設計・開発・製作を進めてきた。地球シュミレータは、横浜市にある海洋科学技術センター横浜研究所の敷地内に建設された。現在、コンピューターによるシュミレーション(模擬的に再現すること)は、自然科学だけでなく、産業や軍事の分野でも活用されている。身近なところでは、台風の進路予測がある。台風の数値計算モデルをプログラム化し、台風の大きさや日本付近の気圧配置などの実測データを入力すると、その進路をある程度の精度で予測することができる。長期予報もコンピューターシュミレーションの成果だ。自動車、列車、航空機などの構造設計・デザインの要にもなっており、自動車メーカーは衝突の模擬実験や高速走行中の空気の流れの解析などにスパコンを使っている。地球シュミレータの最大の用途は、地球規模の気象メカニズムを解明することだ。そのやり方は、地球の大気や海洋を格子状に分割し、格子ごとに温度、気流や海流の向きと速さといったデータを計算するのが基本。そのうえで理論・法則に基づいた計算用モデルを作り、コンピューターを走らせる。ただ、こうした理論モデルからすぐさま高い精度の結果が得られることは少ない。計算結果と観測結果を比較したり、経験則などによって計算モデルを修正、また計算して修正するという試行錯誤の繰り返しによって、シュミレーションの精度を高めていく。計算モデルがよくできたとしても、すぐにコンピューターの性能の限界にぶち当たってしまう。気象シュミレーションの場合、それぞれの格子は相互に影響を及ぼし合った末に全体としての動きが決まっていくため、計算は非常に複雑で時間がかかる。格子を細かくすればするほど計算精度は高まるが、細かくし過ぎると計算に何カ月どころか何年もかかってしまう。台風進路の予測では、計算の範囲を日本付近に限定しているため、格子をかなり小さくしてもかなり正確な結果を得られる。しかし地球温暖化とかエルニーニョ現象といった地球規模の異常気象のメカニズムを解明するためには、地球全体を対象にかなり細かい格子に区切って計算する必要がある。地球シュミレータ計画が浮上した97年当時、スパコンの性能が大きな「壁」となっていたのだ。地球シュミレータは、この壁を取り払った。当初から97年当時のスパコンの1000倍の性能を実現することが目標に設定された。それまでは、1つの格子の大きさは100km四方程度が実用上の限界だった。これは台風1つが収まるぐらいの粗い精度であり、得られる計算結果も大ざっぱだった。
性能は米研究スパコンの5倍
 スパコンの性能を測る物差としては、「フロップ」という単位が用いられる。これは、1秒間に可能な演算(浮動小数点演算)の回数を示すもの。現在の最先端スパコンのフロップ性能はテラ(1兆)の領域に入っている。今回完成した地球シュミレータは、この4月に35.6テラ・フロップスの実測性能をたたき出した。これは、これまでの世界最速スパコンである「アスキーホワイト」の7.2テラの5倍である。アスキーホワイトは、米国における核研究のメッカであるローレンスリバモア国立研究所で2000年に稼動した米IBM製スパコン「SP Power3」。冷戦が終わり、核実験を凍結する政策を打ち出した米国が核研究の重点を理論と過去の実験データを組み合わせたコンピューターシュミレーションに移したことによって誕生したものだ。性能差は5倍。アスキーホワイトが自足500kmのリニアモーターカーとすれば、地球シュミレータは時速2500kmの戦闘機といったところ。世界のスパコン上位500を公開している「TOP500」(http://www.top.org)には、この6月に地球シュミレータが堂々の第1位にランキングされた。そのため地球シュミレータでは、地球規模の計算モデルの格子を10km四方にまで縮めることが可能になり、精度が格段に向上した。海面温度をシュミレーションするプログラムを実行したところ、日本の銚子沖で暖流と寒流がぶつかり混じり合う様子などがほぼ忠実に再現された。現在、このレベルの精緻な計算は、世界のどこを探しても地球シュミレータでしかできないため、世界中の研究者の垂涎の的だ。スパコンの開発を担当したNECは延べ1000人の技術者を投入し、目標性能を突破していった。旧世代のスパコンで使われていたLSI(大規模集積回路)を1チップに32個集積し、プロセッサーの処理速度を大幅に高めた。コンピューターの世界では、LSIの性能は1.5年で2倍になるという「ムーアの法則」という経験則があるが、今回の4年間で32倍という結果は1.5年で5.3倍の性能向上に相当する。開発当初は最先端だった0.15マイクロメートル(マイクロは100分の1)という微細加工技術や、通常のアルミニウムよりも電気伝導率の高い銅を使う配線技術などが生きた。5120個という大量のプロセッサーに計算処理を最適配分し、1つのコンピューターとして機能するように基本ソフト(OS)やコンピュータープログラムを大幅に強化した。地球シュミレータの開発費総額は約500億円。建物の費用約100億円を差し引くと、コンピューターの開発費用は約400億円にも上る。「スパコンの開発としては、かつてない破格の規模だった」(開発を陣頭指揮した渡辺貞NECソリューションズ支配人)。これだけ巨大な国家プロジェクトが1997年に立ち上げられた背景には、科学技術の発展を目指すという狙いのほか、当時、ダンピング訴訟の末に米国市場から締め出しを食らった日本のスパコンメーカーを支援するという意味合いも少なからず含まれていた。もっとも、ダンピング問題の仇敵クレイは市場での力を落とし、2001年にはNECと和解し制裁は解除。NECからスパコンのOEM(相手先ブランドによる生産)供給を受けることになった。スパコン世界一は、NECにとって執念の一撃だった。ただ、「スパコンで世界一になっても日本のコンピューターメーカーの競争力強化には直結しない」(ガートナージャパンの亦賀忠明シニアアナリスト)という指摘もある。2001年の日本のサーバー市場で、スパコンは出荷台数で0.1%、売上高で5.3%程度。日本はメーンフレームの比率が依然として高いものの、パソコンサーバーやUNIXサーバーが中心になりつつある。これは世界的な流れでもある。世界一に輝いた栄誉を、「利益」の2文字にどう置き換えていくか――。今後の課題である。