湧田焼の瓶 | |||
写真は湧田焼初期の瓶です、初期伊万里を思わせる出来栄えの作風は生掛けの効果ばかりではなく伊万里との技術的な連続性のなせる技。 地方民窯にはまだまだ逸品を掘りだせる余地がある様です、故郷を愛すればこその文化財保護、意識してみてください。 17世紀後半 2010−10−8 1609年 島津藩の琉球侵攻を境にして、琉球の焼き物の歴史に飛躍が見られる。首里王府は積極的な工芸技術の導入政策を進め、自給自足体制を固めたいと考えていた。焼き物に関しては、尚寧王が、世子尚豊を通じて島津氏に願い出て1617年薩摩にいた朝鮮人陶工、張献功十六、安一官、安三官、の3人を招いて湧田で技術指導にあたらせた。この3人の陶工を通して、朝鮮李朝時代の焼き物の技術が沖縄に伝えられたのである。湧田焼きは琉球で最初の施釉陶器となった。 褐釉流細頸瓶 (対瓶) 18C後半 褐釉流瓶 19世紀前半 現在の瓶子二対箱入り(火の神を祭るための道具) |
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