沖縄もとぶ焼 2 |
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もとぶ焼の茶碗を手に入れてから早いもので8年以上になります。 沖縄の焼き物は地域完結型の手作り感から今では熱心な支持者を抱えるまでになりましたが10年前は人間国宝の金城次郎作品のみが評価される時代でした。 そんな当時にヤクオフで写真一番下のもとぶ焼茶碗に出会ったわけですが作者の志の高さと地域性そして経歴の面白さ、そしてなにより作品の良さが印象的でした。 もとぶ焼は個人作家が彼の地に移住し人知れず始まりそして終わるのかと思いきや、先日またヤクオフで写真の一輪挿しを見つけました。 作家が違うと言う事は、少数ながら製作集団だったのか、あるいはお弟子さんの作か? 作風はご覧の通り超中国的、乾隆年製の官窯を彷彿とさせます。 明王朝との朝貢貿易で栄えた琉球王朝、その遺伝子が色濃く感じられる優れた作品です。 これもまた沖縄の焼き物の一つの姿、他の地域ではこうした作風にはここまでの説得力はありません。 以下は2008−6−20のブログ 沖縄県への移住者は年間二万四千人あまりを数え沖縄移住ブームなる言葉も生まれている。 大きな数字でこんな事が続けばいずれ沖縄県はパンクしてしまうのではないかと思う。 ただこの数字は統計上のマジックが隠されており数字の中に県外就職組のUターンや沖縄への転勤に伴う一時的な移入も含まれており実際に沖縄を終の棲家にするような本格的な移住組は二千人程度ではないだろうか。 内訳は二十代三十代が多く沖縄の自然にあこがれマリンスポーツ関係の仕事に就くものが多いと聞く。 ついで多いと感じるのはクリエーター達の移住で沖縄の自由な環境で作家活動を志す者たちである。 例えば弊社HP沖縄情報、やちむんの里で紹介したように今や沖縄は陶芸家の一大集積地で本土出身者も数多いのである。 (読谷村の窯元集積地の他にも県内各地にこうした所が点在する) このような傾向がいつ頃から始まったのか定かでないが1970年代の移住組作家の先駆者的人物と思われる人の作品をヤクオフで入手した。 二千円での取引で時の流れに忘れ去られた作家と言えるが作品や経歴、供箱の品質から大変まじめな作品であると判る。 いずれまた日の目を見る時があるのだろうか、作者の夢のために祈ってあげたい。 17世紀の琉球の焼物 湧田焼き鉄絵椀の影響を感じる作風 立派な箱からも真面目な作品であることがわかる 2008−6−20 |
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